乳がん手術の術前・術後に行う薬物療法について
乳がん治療で行われる薬物療法には、ホルモン療法、化学療法、抗HER2療法(分子標的薬)があり、乳がんのサブタイプに合わせて最適なものを単体で、あるいは組み合わせて行います。
術前の薬物療法
進行乳がんやしこりが過度に大きく乳房温存手術が困難な場合、手術の前に薬物療法を行ってがんを縮小させ、それから手術を行うことがあります。全身療法である薬物療法が、予後を改善させることができるので、手術に先立って必要な治療を行います。がんが治療によって縮小したり、なくなったりすることが確認できるメリットがあります。トリプルネガティブ、HER2タイプの乳がん患者さんは、ほぼ例外なく術前薬物療法の適応になります。
術後の薬物療法
乳がんのがん細胞が血液やリンパ液によって体内を運ばれ、どこかに隠れていることがあります。術後の薬物療法は、こうした体内のあちこちに隠れているがん細胞を根絶するために行われます。手術の結果で、再発のリスクが高まった場合、全身の薬物療法の内容が変わることもあります。
乳がんのタイプごとに異なる薬物療法
乳がんはがん細胞が持つ遺伝子の特徴によりいくつかのサブタイプに分けられ、それぞれのタイプによってがん細胞の性質が異なります。そのため乳がんの薬物療法は、化学療法、ホルモン療法、抗HER2療法の3種類からそれぞれ適したものを選んで行います。
乳がんのサブタイプ
ホルモン受容体の2種類と、HER2の陰性・陽性、そして増殖因子と言われるKi-67値の結果を組み合わせた5つのサブタイプに分けられます。
ホルモン受容体 2種類
ER=エストロゲン受容体、PgR=プロゲステロン受容体
HER2
HER2タンパクやHER2遺伝子は、がん細胞の表面に存在して増殖に関わるとされています。HER2タンパクが異常に増えているがん細胞は、ホルモン療法が効きにくかったり、増殖の速度が高く、悪性度が高いと判断できます。
Ki67値
増殖能力を示すマーカーで、この数値が高いとがん細胞の増殖活性が高いとされています。がんが育つ速さが速いと考えて下さい。
サブタイプ分類
ルミナールA、ルミナールB(HER2陽性)、ルミナールB(HER2陰性)、HER2増殖、トリプルネガティブに分けられます。
サブタイプ分類 | ホルモン受容体 | HER2 | Ki67 | 薬物療法 | |
---|---|---|---|---|---|
ER | PgR | ||||
ルミナールA型 | 陽性 | 陽性 | 陰性 | 低 | ホルモン療法 |
ルミナールB型(HER2陽性) | 陽性 | 陽性あるいは陰性 | 陽性 | 低~高 | ホルモン療法、化学療法、抗HER2療法 |
ルミナールB型(HER2陰性) | 陽性あるいは陰性 | 陽性あるいは陰性 | 陰性 | 高 | ホルモン療法、化学療法 |
HER2型増殖 | 陰性 | 陰性 | 陽性 | ― | 化学療法、抗HER2療法 |
トリプルネガティブ | 陰性 | 陰性 | 陰性 | ― | 化学療法 |
※横スクロールで全体を表示します。
乳がんの薬物療法
化学療法
抗がん剤を使って体のあちこちに潜んでいるがん細胞を攻撃し、がん細胞の根絶を目指す治療法です。抗がん剤はがん細胞に作用して増殖を抑えて死滅させますが、正常な細胞にも影響を与えてしまうため、全身にいろいろな副作用を起こしやすい傾向があります。
複数の抗がん剤を組み合わせた治療
乳がんの化学療法で使われる抗がん剤には、たくさんの種類があります。一般的に、いくつかの抗がん剤を同時に、あるいは順番に使って治療していきます。それぞれ作用が異なるため、複数を使い分けることで効率よくがん細胞を攻撃できます。ただし、副作用を考慮して、最も効果が高く、できるだけ副作用を抑える方向で組み合わせや量を慎重に検討していきます。スケジュールなどをしっかり決めてから行うものですから、医師の指導にそって治療を進行させることが重要です。
乳がん治療に使われる主な抗がん剤
種類 | 効果 |
---|---|
トポイソメラーゼ阻害薬 | DNA構造を変化させる酵素「トポイソメラーゼ」の働きを妨げて、がん細胞がDNAを合成できないようにします。 |
微小管作用薬 | 微小管は細胞分裂に重要な役割を果たすもので、ここに作用することでがん細胞の分裂を阻害します。これにより、がん細胞を死滅へと導きます。 アルキル化薬がん細胞にアルキル基という原子のかたまりを付着させることでDNA構造を変化させて、増殖を抑えます。 |
アルキル化薬 | がん細胞にアルキル基という原子のかたまりを付着させることでDNA構造を変化させて、増殖を抑えます。 |
代謝拮抗薬 | がん細胞が増殖するためにはDNAやRNAの材料が必要です。代謝拮抗薬はこの材料と似ているため、がん細胞が取り込んでしまい、がん細胞を死滅へと導きます。 |
白金錯体 | DNAの鎖内と鎖間に架橋を形成します。これによってがん細胞のDNA合成が阻害されて細胞分裂を阻害し、がん細胞を死滅へと導きます。 |
抗がん剤の副作用
抗がん剤は増殖が盛んな細胞を攻撃するという働きを持っているため、がん細胞以外の正常な細胞である消化管や毛髪、骨髄なども同時に攻撃されてしまいます。ただし、現在は副作用を軽減する薬剤が多く開発されてきており、副作用をかなり抑えられるようになってきています。さらに、予防法や対処法も確立されてきています。
なお、副作用の症状は薬剤によって異なりますし、個人によって出方や程度も変化します。またここで紹介されていない症状が現れることもあります。
吐き気・嘔吐
予防的に吐き気止めの薬を点滴開始前に投与することもあります。また、後から吐き気が起こった場合には、吐き気止めの内服薬を処方します。
脱毛
毛髪、眉毛、まつ毛、体毛が抜ける可能性がありますが、治療終了後には元に戻ります。それまでの間は保護の意味も含めてウィッグや帽子などを利用する方が多くなっています。
骨髄抑制・貧血・出血
白血球や赤血球、血小板といった血液の成分を作る骨髄は、最も影響を受けやすい臓器です。特に白血球は、サイクルが早いためすぐに治療の影響を受けて数が減ります。治療のスケジュールを左右する副作用のため、予防的に白血球を増やすようにする薬剤を投与する方法が取られることが最近は多いです。また、赤血球が減少する貧血は、長く治療を行うと出現します。血小板が減少すると出血しやすい、といった症状が現れることがあります。スケジュールを変更し休薬しても、治療が必要な場合には、輸血や白血球を増やす薬の処方を行います。
末梢神経への影響
手足のしびれ、ピリピリ感、刺すような痛み、感覚が鈍くなるなど、末梢神経に副作用が現れることがあります。乳がんに一般的なタキサン系の薬剤に多い副作用で、予防処置を施したり、症状が強い場合には緩和させるための薬を処方します。
その他
上記以外にもさまざまな副作用を起こすことがあります。
具体的には、息苦しさ、むくみ、アレルギー(過敏症)、関節痛・筋肉痛・手足の痛み・感覚鈍麻、口内炎、味覚障害、肝機能障害、下痢、倦怠感、血管炎、爪の異常、卵巣機能障害などがあります。
内分泌ホルモン療法(抗ホルモン療法)
乳がんの患者さんの60%は、エストロゲンという女性ホルモンの影響を受けてがん細胞が活発に増殖するタイプです。こうしたタイプの場合、エストロゲンの働きを妨げる、作られないようにする内分泌療法で増殖の抑制を図ります。
閉経の前後で使用する薬剤が変わります
エストロゲンは体内の卵巣で作られるホルモンです。閉経前と閉経後にはエストロゲンを作る部位、作るメカニズムが変わるため、それに合わせた薬剤を使う必要があります。
閉経前
エストロゲンが卵巣で作られています。
閉経後
エストロゲンが卵巣で作られなくなります。
女性でも男性ホルモンのアンドロゲンが副腎皮質から分泌され、それが酵素のアロマターゼという酵素によってエストロゲンに作り替えられます。
乳がん治療に使われる主なホルモン剤
閉経前
種類 | 効果 |
---|---|
LH-RHアゴニスト製剤 | エストロゲンが卵巣で作られるのを抑える |
抗エストロゲン薬 | エストロゲンが乳がん細胞に作用するのを妨げる |
黄体ホルモン薬 | 間接的にエストロゲンの働きを抑える |
閉経後
種類 | 効果 |
---|---|
アロマターゼ阻害薬 | エストロゲンを作るアロマターゼの働きを妨げる |
抗エストロゲン薬 | エストロゲンが乳がん細胞に作用するのを妨げる |
閉経前の術後ホルモン療法
抗エストロゲン薬を10年間使用します。
一般的な閉経前術後ホルモン療法では上記に併用して卵巣でのエストロゲンの合成を抑えるLH-RHアゴニスト製剤を2~5年間使用します。
治療中に閉経が確認された場合
抗エストロゲン薬による5年間の治療を完了後、アロマターゼ阻害薬による治療を5年間追加する場合があります。
閉経後の術後ホルモン療法
アロマターゼの働きを妨げるアロマターゼ阻害薬を5年間使用します。10年間の使用を検討することもあります。
また、副作用などで抗エストロゲン薬を使用することもありますが、その際は10年間の使用が検討されます。
他に、抗エストロゲン薬を2~3年間使用してからアロマターゼ阻害薬に切り替えて合計5年間治療する方法、抗エストロゲン薬を5年間使用してからアロマターゼ阻害薬を2~5年間使用する方法が用いられる場合もあります。
ホルモン剤の主な副作用
ホルモン療法では、エストロゲン(女性ホルモン)の抑制によってがん細胞の増殖を防ぎます。エストロゲンが減少すると必然的に更年期障害のような症状の副作用が現れやすくなります。使用する薬によって現れる副作用が異なり、現れ方や症状の強さには個人差があります。気になる副作用があったら、医師にご相談ください。
ほてり・のぼせ・発汗
いわゆるホットフラッシュと呼ばれている症状です。エストロゲンが減少すると体温調節がうまくできなくなってほてりなどの症状を起こします。閉経後の術後ホルモン療法でもホットフラッシュは、頻度が低いながらもあります。
頭痛・肩こり・イライラ・うつ状態
上記に加え、不眠をはじめとする睡眠障害も現れやすい症状です。こうした精神・神経症状には、睡眠薬や気持ちを安定させる薬の処方、カウンセリングなどで対応可能です。
筋肉痛・関節のこわばり
こうした症状は、運動などで少しずつ改善していくケースがほとんどです。症状が強い場合には、消炎鎮痛剤などの処方を行います。
骨密度低下
エストロゲンが減少すると骨密度が低下し、骨折しやすくなる骨粗鬆症につながることがあります。ホルモン療法を受けている間は年1回の定期的な骨密度測定を受けて骨の状態をチェックします。また、骨密度を上げるためにカルシウムやビタミンDを多く含む食品を積極的に摂取し、適度な運動を習慣付けましょう。
その他
上記以外にも、不正出血・膣炎などの生殖器症状や血栓といったさまざまな副作用を起こすことがあります。気になる症状が現れた場合は、医師にご相談ください。
分子標的薬(抗HER2療法など)
抗がん剤には、細胞障害性抗がん剤・殺細胞性抗がん剤を用いた化学療法だけでなく、分子標的薬を使用する療法もあります。がん細胞に特異的に見られる分子を標的にすることで、効果的にがん細胞へ作用を及ぼします。
乳がんにはいくつかタイプがありますが、そのひとつにHER2と呼ばれるタンパク質が過剰に発現しているタイプがあります。HER2というタンパク質はがん細胞の増殖を促進する司令塔として働くため、このタイプは進行が早いとされています。
分子標的薬でHER2をピンポイントに攻撃する治療法が、抗HER2療法です。使用する分子標的薬は抗HER2ヒト化モノクローナル抗体という種類の薬で、これががん細胞の表面にあるHER2と結合してがん細胞の増殖を抑制します。
分子標的薬の副作用
抗HER2ヒト化モノクローナル抗体の主な副作用には、発熱、悪寒、下痢、発疹などがありますが、現れる症状の内容や強さには個人差があります。気になる副作用があったら、医師にご相談ください。
その他の分子標的薬
乳がんの分子標的薬として、抗VEGFヒト化モノクローナル抗体薬やmTOR阻害剤、CDK4/6(サイクリン依存性キナーゼ4/サイクリン依存性キナーゼ6)阻害薬が使用されることもあります。比較的新しい治療約で、主に再発患者さんに投与されるものです。薬剤毎に色々な副作用を起こすため、経験のある乳がん専門医による治療が必要です。